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住み方の変化

2011.12.16

四〇年間は、大きく、父の結婚までの核家族期、叔父たちが結婚して独立していく複合家族の変動期、およびその後の直系家族期の三期に分けてとらえられるが、一貫して、夫婦寝室としては第一に〈離れ〉が選ばれ、第二に〈二階の六畳〉、第三に〈勉強べや〉が選ばれている。このような独立性の高い部屋が複数存在して、互いの距離をとれたことが、戦後における複合家族の居住を支えたものと思われる。また、その時期には、復員した父の意見により、直系家族とそのほかの家族が生計分離し、食事室とトイレを別にして生活した。

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それを祖母は嘆いたという。一九四八年に生まれた私の記憶は、父母、妹とともに寝室を〈二階の六畳〉から〈離れ〉に移した頃から鮮明になる。その後二歳下の妹とくお座敷〉で寝るようになり、一番下の叔父の一家が〈勉強べや〉をでて独立した後、そこの造り付けのベッド(叔父が結婚したときに幅を広く改造してあった)に二人で寝たのは束の間で、ピアノをおくためにベッドは壊して、再びくお座敷〉で寝るようになったのだった。夏になると大きな蚊帳を吊って寝るのは気持ちがよかったし、蚊帳をひとりでたたむようになったときは大変だったがうれしくもあった。そして、二人の机をおいた〈勉強べや〉は、文字どおりの勉強部屋となった。その後ピアノを専門的にしはじめた妹が〈勉強べや〉を独占し、そこにベッドをおいて寝るようになった。私はそれを羨ましく思ったものだ。北側の小さな窓が好きだったこともあるが、家のなかの唯一の洋風イス式の部屋への憧れがあったことも確かである。私は〈二階の六畳〉を自分の部屋にした。乳幼児の頃の寝室に戻ったことになる。





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